名倉 健司
代表取締役社長
1991年新卒入社(36年目)
埼玉県
自己紹介
1991年入社、社長の名倉健司です。
博報堂の「人」と「多様性」を信じ、共に歩んでまいりました。若手時代は現場で徹底して汗をかき、ディレクター時代には逆境を跳ね返す挑戦の喜びを学びました。管理職になってからは、部署長、部門長を経て、600名超の大規模の組織マネジメントまでを経験。
現在は社長として、数字だけでなく社員一人ひとりがもつ想いと成長を重視し、個人と組織が共に幸せに成長できる「生活者価値デザイン・カンパニー」の実現に邁進しています。
博報堂に入社したきっかけは、「世の中で一番人間のことを考えている会社」だと思ったからです。きっかけになったのは、学生の時にたまたま読んだ、博報堂生活総合研究所から発刊されていた『タウンウォッチング』という書籍。これがおもしろくて、例えば「都市と街の境には必ずクリーニング屋がある」みたいな定義をしたり、渋谷のスペイン坂でみんなとは逆の方角に曲がった人を追いかけて、その行く先にある店や商品、行動を細かく見ていったりするんですよ。私は大学で、人の行動を定量化して汎用的な利便性につなげるような、人間工学を研究していたんですけど、それとはまったく違う。むしろ人とは少し異なる行動をする人、n=1の行動をつぶさに追いかけて、意味のあるものとして定義していくことを懸命に研究している会社があるのが、すごく特別に思えて。そこで「博報堂」という会社に興味をもちました。
名倉 健司
代表取締役社長/1991年新卒入社(36年目)
Q1
仕事で「一番汗をかいたなあ」と思った
エピソードはなんですか?
世界的アイドルグループと契約した仕事
海外アーティストを起用した、某通信メーカーとの仕事ですね。グローバルなタレントを起用したプロジェクトなので、交渉を含めて非常に難易度が高かったのですが、なかでも冷や汗をかいたのは出演料の着金確認ができないと、相手は撮影現場に来てくれないという状況です。ロンドンでは撮影準備が進んでいるのに、責任者である私は、送金の確認が取れるまで日本を離れられない。もし間に合わなければそれまでの準備がすべて無になりかねない状況のなか、自分ではどうすることもできないまま、毎日、飛行機のチケットをとってはキャンセルすることをくり返しました。結果的には、撮影の前々日にやっと確認が取れて、前日の夜に現地入りできましたが、最後まで冷や汗をかく展開でした。
これは「冷や汗」についての話でしたが、仕事をする上で流す汗にはいろいろな種類のものがあると思います。緊張感からくる「冷や汗」もあれば、物理的に動き回って汗をかくこともあると思いますし、一つのことを考え抜くために比喩的に頭にかく「汗」もあると思います。いずれにしても、新しい仕事にチャレンジして、一つずつ道を切り拓いてきたときには、必ず汗をかいてきました。そして、そもそも博報堂は、二つと同じではない仕事に毎日向き合っている企業なので、常に汗をかきながら仕事をしているともいえます。
業務を通じて自分の得た心の動きや、思考を巡らせた時間が発露されるものとして、「汗をかく」というのは非常に重要なものだと思います。充実感のある汗でも、苦しさを伴う汗でも、常に同じ汗をかいているのは不健全なことなので、さまざまな経験を通じてバランスよく汗をかき続ける。その積み重ねが、自分が成長している実感を得る上でも、大切なのかなと思います。
Q2
心を動かすために
大切にしていることを
教えてください。
生活者に対して「意味のある変化」をどうもたらすのかを考えること。
生活者に対して、パートナーに対して、「意味のある変化」をきちんともたらすことができるかどうかです。例えば、我々の業務を通じて、一人の生活者の行動が変わったり、大切にしているものが増えたり、自分が当たり前と思っていたものが変わったり。生活者に対してそういった「意味のある変化」をどうもたらすのか。「心を動かす」ということは、博報堂が社会や生活者に対してもたらすことのできる、重要な価値だと思っていますし、これは「生活者価値デザイン・カンパニー」という我々のビジョンにも表現されています。
また私にとっての行動の源泉となっているのが、「もっと期待されたい」という想いです。入社するときの自己PRにも同じ言葉を書いたんですが、「もっと期待されて、もっと応えたい」というのが自分のアスピレーション(内なる想い)なんですよね。
期待される存在であるためには、自分に課せられたミッションや役割をきちんと自認して、それを全うすることが必要です。そうした姿勢があったうえで、真正面から相手に向き合い、コミュニケーションをとっていく。その結果、「この人の意見を聞いてみよう」「この人に相談してみよう」、さらには「この人に興味がある」と思ってもらえるような存在になれる。こうした、自身のアスピレーション(内なる想い)を大切にした行動の積み重ねこそが、「心を動かす」仕事を生み出すことにつながっていくんだと思います。
入社前の遍歴
生い立ち
1967年、埼玉県川口市生まれ。実家は「植木の町」で園芸業を営む職人の家庭。長男として、職人気質の父から厳しく育てられる。家族総出で仕事に励むにぎやかな環境が、働くことの原体験となる。
小学校時代
地元の公立校に通い、野球三昧の日々を送る。一方で「なわとび」に猛烈に熱中。ベニヤ板で自作した練習台を畳の上に敷いて屋内練習に励み、小4で全国3位に。この経験が「努力は報われる」という自信の礎となった。
中学高校時代
中学受験の不合格を機に、負けず嫌いの精神が加速。地元の公立中学で野球と猛勉強を両立する「文武両道」のルーティンを確立する。その後、県内の公立高校へ進学。野球部副主将として「質実剛健」な校風の中で泥まみれになり、成績が一時下位に沈むも、そこでの仲間との絆が人生の骨組みとなった。
大学時代
大学では統計学や人間工学を専攻。データで人間を解明しようとする学問を通じ、逆に「データだけでは捉えきれない人間の心の面白さ」に目覚める。就職活動では「人の気持ちを予測し、狙って当てにいく」広告業にその答えを見出し、博報堂を志望した。
入社してからの遍歴
若手時代
営業(現ビジネスプロデュース職)として「大手自動車メーカー」専任チームに配属。毎朝早朝からクライアント先へ赴き、徹底した現場対応を経験。その後、外資系リゾート会社の担当として世界を回るなど、自由な気風の中で「意欲を持って仕事に没頭する」ことの活力を学んだ。
ディレクター時代
「大手飲料メーカー」の新規開拓において、圧倒的に不利な状況からチームを牽引し、扱いを獲得。「自ら先頭に立って道を切り拓く」役割に使命感を抱く。この時期、本気で挑戦し続ける自分を強く実感し、「やっと博報堂の一員になれた」という深い充実感を味わった。
部長時代
2006年、部長に就任し組織を率いる経験。自身が最前線で戦うスタイルから、メンバーの家族までを意識し、「部下を養い、導き、環境を整える」というマネジメントの視点へ転換。「このチームで働けて幸せだ」と部下が実感できる組織づくりに心血を注いだ。
局長時代
2012年、局長へ昇進。100名超の社員と売上を預かる立場となり、単なる運営ではない「経営」の視点を確立。現場で収拾がつかないトラブルの「最後の責任を取る」という胆力と義務感を磨き、日頃からの信頼関係構築を何より大切にした。
役員時代
600〜700人規模という大きなフロント組織のマネジメントを担う。視座を一気に全社へと広げ、巨大組織をしなやかに動かす「縦横のマトリックス経営」を提唱。一人ひとりに目を配りつつ、同じゴールを目指して喜びや苦しみを分かち合う一体感をエネルギーに変えた。
社長
「個人と組織の成長が重なり合う、幸せで豊かな成長」の実現を目指す。博報堂の最大の資産である「人」と「多様性」を活かし、社会へ大きな価値を届ける「生活者価値デザイン・カンパニー」の先頭に立つ。
ハマっていること
博報堂
今ハマっていることは「博報堂」です!35年間ずっと、ハマり続けているともいえるのですが、やっぱり今が一番、博報堂にハマっていますね。社会やステークホルダー、生活者からの博報堂の見え方や、組織や機能としての会社の在り方はどのようなものがいいのか、日々気にしたり、想像したりしています。
おそらく学生のみなさんが博報堂に対して抱いているイメージは、それぞれ違っていると思います。しかし、そのそれぞれの興味や期待、想いに対して、応えることができる土壌が博報堂にはあると考えています。それこそが、僕の考える博報堂の推しポイントです。
学生へのメッセージ
※社員の所属、職種、その他の全ての情報は本記事掲載開始日時点のものであり、現在の情報とは異なる場合がございます。