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自己紹介/担当領域
2020年入社、クリエイティブ職の松村紘世です。新潟県の村上市で生まれ、18年間過ごし、いざ東京へ。小さいときからボーッと考えごとするのが好きでした。でも考える対象にこだわりがなく、ひどく飽き性だったため(資格系職業はぜんぶ断念しました)、幅広い領域を楽しめそうな広告業界を志望しました。
入社後は、クリエイティブ局に配属。それからずっと、広告のコピーやCMの企画をしています。言葉で広告の方向性を探りながら、映像で広告に1ミリも興味のない人に振り向いてもらえる仕組みを考える。けっこう楽しいですよ、日曜日の夜、明日やだな〜って思ったことあんまりないです。あと、CMをつくっていますが自宅にテレビはないです。映画や漫画もほぼ読みません。その代わり某動画配信プラットホームが大好きで、そこから企画のヒントをよく得ています。むずかしいことは何も書いてないので、暇だったら見てってくださいね。
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仕事で大事にしていること
チームより1人で。
コピーライター/CMプラナーは、打ち合わせに、キャッチコピーやCM企画を持っていく仕事。十数人に見られながら自分のアイデアを発表します、緊張します。
働き方で大事にしていることは2つくらいあります。まずは、チームでワイワイ話すより、1人でうじうじ悩むこと。自分なりの答えを出すことで、効率的にチームに貢献したいからです。あとは、あんまり忙しくしないようにすること。大学時代、楽しそうな予定をギッシリ詰め込んだら、ぜんぶ楽しめなくなることがありました。仕事も、ちょっと暇なくらいがひとつひとつにちゃんと向き合えます。
企画で大事にしていることは、誰も広告なんかに興味ないことを前提にすること。僕がいちばん欠かせないサブスクは某動画配信プラットホームのPremium会員(広告見ないで済むやつ)です。ふだん広告を考える自分ですら、広告を見ないためにお金を払う。5秒スキップを待つのも苦しい。そんな感じなので、誰かが見て「得したな」「ちょっといいもん見れた」と思ってもらえる広告をなんとか考えています。 -
仕事で苦しかったこと(失敗・挫折談)
運勢
個人的に気に入っている企画やコピーは、特に実現させたいのですが……。そんな企画が、競合プレゼンに負け続けた去年です。自分の中でいい感じの企画があまりにも散っていくから、こないだ御茶ノ水の神社にお祓いへ行ってきました。30分ほど格式が高そうな儀式をしていただき、お守りをもらいました。今年は、うまくいきますように……。いや、運のせいにしちゃダメですね。今年は、うまくいくようにもっと頑張ります。
ちなみにジンクスみたいなのも自分の中にありまして。不思議なことに、神田の某スーパー銭湯で思いついたアイデアは「いいね!!」と盛り上がる確率がとっても高いんです。もったいないから逆にあんまり使わないようにしています。
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やりがいを感じる瞬間
夜はたのしい。
自分的におもしろい企画が思いついた夜です。新しいと感じる構成やセリフが浮かぶと、「あ、ちょっといいかも」「これは実現したい」と1人で勝手に楽しんでるときがやりがいを感じる瞬間です。でも朝起きて、冷静な目で見てみると、「アレ? そんなよくないな……」ってこともよくあります。打ち合わせに持っていくのときの不安は変わらず。なので、みんなが「これ、いいじゃん!」とおもしろがってくれたときも、同じくらいやりがいを感じます。
その他のやりがいは、仕事終わりのご飯です。六本木にある某ラーメン屋にいくと、お腹も心もいっぱいに。今日も頑張った甲斐あった……。この店を教えてくれた同期には感謝と憎悪の気持ちでいっぱいです。太りました。
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博報堂での一番の思い出
勝手に。
企画したCMが中国で流行ったみたいで、勝手にパロディされてたことです。知らないだれかに勝手に届いて勝手に広がり、勝手にリアクションされる。なんかおもしろい仕事だなあと思いました。
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ハマっていること
熱海
海鮮丼、寿司、カツカレー、パスタ、ビール、海、温泉。ここなら、何も考えずに過ごせます。観光は疲れるからしないです。最近は同期を呼んだりもします。古川君です。
何者遍歴

幼少期
1997年、新潟で生まれました。実家はネギとコメとイチゴ農家。おいしいですよ。5月になるとイチゴを収穫して、8月にはネギを軽トラックで運んでました。ずっと見てきた田舎のイメージが、今の企画にもなんとなく生きている気がします。

小学生〜中学生
野球してました。練習が嫌いだったのでかなりしんどかったです。今でも素振りする夢を見るくらい。野球自体は大好きでよく仕事終わり球場へ向かいます。
高校生
人生のターニングポイントは、高校2年生。「地元の大学へ行き、ずっとここで暮らしていくのかな」とぼんやり思ってたところで、某ネット掲示板のとある話題に出会ったんです。記憶は定かではないですが、「人生に一度は東京へ住もう」的な話。何だかわからないけど、何かあると強烈に感じた記憶があります。そのまま東京の大学へ。
大学生
大学時代は法学部だったので、なんとなく弁護士志望。ただ六法を見る生活を続けるうちに「将来の仕事はこれじゃないよな」と、学力不足を棚にあげてスパッとやめました。それから就職活動の際、いろいろ物色してこの会社を知りました。
入社後
「これから労働か…」なんて思ってたけど、今とっても楽しいですよ!
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